Vol. 0118
本日もブログをご覧いただきありがとうございます。。。
国語力と理系脳を鍛え、グローバル人材を育てる学習塾ペガサス府中夢教室・塾長の仲山です。
日本人として誇らしく感じるのは、何といってもノーベル賞を受賞される方々の多さです。
2012年、iPS細胞の山中伸弥(やまなか しんや) 京都大教授、
2014年、青色LEDの赤崎勇(あかさき いさむ)名城大終身教授、天野浩(あまの ひろし)名古屋大教授、中村修二(なかむら しゅうじ)米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授
2015年、ニュートリノ振動の梶田隆章(かじた たかあき)東京大教授
2015年、熱帯感染症特効薬の大村智(おおむら さとし)北里大特別栄誉教授
でも、何で日本人はこんなにも優秀なのでしょうか?
真っ先に結論を言えば、答えは『読書』だと思います。(確信しています。)
先人たちの知恵を本から学び、問題解決に役立て、さらに研ぎ澄まして次世代に伝承する。
このPDCAを繰り返し、繰り返し実践していく事によって、より困難な問題にもチャレンジしていく文化が出来上がったのだと思います。
読書文化の源:徳川家康
では、誰が日本の『読書文化』の下地を作ったのでしょうか。
それは、徳川家康だと言われています。(参照:NHK歴史秘話ヒストリア【ワシはコレで天下をとりました。~徳川家康の読書愛~】2016年2月10日放送)
徳川家康は戦国大名の中でも一番の読書マニアでした。
8歳で今川家に人質に出された家康は、今川家の軍師・太原雪斎(たいげんせっさい)の下でひたすら本を読み学問にはげみました。
そこで出会ったのが『吾妻鏡(あづまかがみ)』(鎌倉幕府の歴史書)でした。
家康は、伊豆に流された源頼朝(みなもとのよりとも)の境遇を現在の自分の境遇になぞらえ、頼朝を人生の目標にしました。
つまり、家康は天下を取る事を人生の目標『夢』にしたのです。
その後、家康は貪る(むさぼる)ように本を読んでいきます。
兵法 ⇒ 儒学 ⇒ 医学 ⇒ 易学
家康の優れたところは、ただの本マニアでなく、実践する人でした。
本で学んだことを度々実践することで、家康はやがて名君と呼ばれるまでになったのです。
織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)のようなカリスマ性はありませんでしたが、徳川家康は「人を活かして使う事」に長けていました。
家康の唱えた「政は人心を得るにあり(東照宮御実紀)」も、論語の「為政以徳(まつりごとをなすにとくをもってす)」から学んだことを、実践したものです。
このように、家康は、読書により得られた知識を実践し、乱世を生き延び、そして遂に天下人(てんかびと)となったのです。
日本一の図書館
天下人となった徳川家康の次なる『夢』は、日本一の図書館を作ることでした。
天下統一を果たした家康は、江戸城内に図書館を作り、国中から優れた図書を買い集め、蔵書は1万冊(幕末には11万冊以上)に達しました。
こうして集められた本は、側近たちが自由に読めるようにしました。
つまり、徳川の家臣ならだれでも手軽に本を読むことができるようにしたのです。
日本一の出版技術
家康の本にかける情熱は、出版にも向けられました。
家康は、論語や孟子など60以上の書籍から、政治を行う上で参考になる言葉を抜粋した本:『群書治要(ぐんしょちよう)』を出版しました。
家康は、「出来るだけ多くの人に本を読んでもらいたい」という願いをかなえるために、この本を出版する際に最新の印刷技術を導入しました。
家康のこの『夢』は、8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)によって引き継がれました。
吉宗は、庶民に読み書きを教える本『六諭衍義(りくゆえんぎ)』を出版、全国の寺子屋で教科書として使われました。
世界有数の識字率
江戸時代、日本は世界有数の識字率を誇る国となり、誰でも本に親しむことが出来る世の中が訪れます。
やがて、庶民自らも本を出すほど、空前の読書ブームが巻き起こるのです。
これも偏に(ひとえに)、一人の読書マニアの情熱の賜物(たまもの)であったと言えます。
家康がいなかったら、、、
家康の読書に賭ける情熱が無かったら、今の日本の栄光は無かったかもしれません。
本をこよなく愛する家康の心が、現代の私たちに残したもの。
それが、読書立国日本です。
読書は、あなたを変える。
私を変える。
そして、未来を変える。
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