Vol. 0422
本日もブログをご覧いただきありがとうございます。
国語力と理系脳を鍛え、グローバル人材を育てる学習塾ペガサス府中夢教室・塾長の仲山です。
来週月曜日は敬老の日ですね。
祝日法で「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という意味があります。
全くその通りと思います。日本には年長者を敬う文化が脈々と流れていますね。
アメリカに長年住んでいましたけど、年長者だからと言って敬われるという文化は特に無かったですね。お年寄りでも普通に扱われていたように思います。悪い意味ではなく、元気な人が多かったし、年齢の高い低いが価値とはならないお国柄でした。
ところで、ここしばらく日曜日の夜は録画してあった『JIN -仁-』を見ていた(『麒麟がくる』が無かったので)のですが、
明治維新へのタイムスリップを経験した医師、南方仁(大沢たかお)の最後の言葉:
と言う場面があるのですが、この言葉に深く感動しました。
思えば、誰もが2人の親から生まれてきているわけで、その親にも親がいて、私には4人の祖父母がいたわけです。
この祖父母たちにも親や祖父母がいるわけですから、私のひぃひぃひぃじいさん・ばあさんは明治時代には32人。
その先を考えると、江戸時代の徳川吉宗が享保の改革を行っている頃には1000人を超すご先祖がいたことになります。
さらに遡(さかのぼ)ると、鉄砲伝来の頃には10万人、 室町時代の応仁の乱の頃には100万人、鎌倉時代末期には日本の人口と同じくらいの600万人のご先祖が、この日本のどこかにいた計算になります。
びっくりですが、これが事実なのです。
私をここに生き、存在させてくださっているご先祖がこんなにいたなんて。
この中の一人でも欠けていれば、私はこの令和時代に存在していないのです。
そして、その一人ひとりが、人生を戦い、もがき苦しみ、命を落としても家族や愛する人を守り、次の世代へと子どもを残してくれたのです。
この命の繋がりを奇跡と呼ばずして、何と呼べばいいのでしょうか。
私たちは、大きな歴史の紐帯(ちゅうたい)の一部として存在しているのです。
一日も無駄に過ごしては、ご先祖様に申し訳が立たない。
だから、日々もがき苦しんで良いじゃないですか。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」
来週の敬老の日を、親に感謝し、周りのお年寄りたちに敬意を払う特別な一日にしましょう!
そして、一日の終わりには、夕日の美しさに感動しましょう!🌅
応援団長より😀