Vol. 0025
月曜日、敬老の日を迎えて、田舎の広島に電話をかけた。
電話の向こうから元気な声が返ってきた。
両親とはこの夏のお盆休みに会ったばかりだから、それ以来、変わりはないようだ。
元気と言っても、二人とももう80歳。体にガタがきている。
元気な声になるのは、孫と電話を変わった時だ。
じじ・ばばは、1トーン上がった声になる。
子供たちも電話口ではしゃいでいる。じぃじ・ばぁばが大好きなのだ。
お盆に帰省した時の話を(いまだに)キャッキャ、キャッキャと話している。かき氷、スイカ、水族館、プール、カブト虫、畑のキュウリやトマトがおいしかったとか。
その様子を眺めながら、人間は、産まれてから死ぬまで、色々な節目があるんだなぁと感じた。
僕が子供のころ見た父親はスーツを着ていてパリッとした真面目なサラリーマンだった。
どこから見ても立派な人に見えたけど、無口な人だったし、当時の僕は特に尊敬するでもなく、あまり会話もなかったなぁ。。。と。
それが今では白髪の老人、孫との電話でハツラツと会話をしている。
当時、僕と兄を育てるためにがんばって会社で働いていたんだなぁと、あんなに無口だった父親を、いまでは理解できるような気がする。
そして、僕ら子供たちが目に見えない親の愛情で包まれていたことも、、、
僕は二児の父になって、改めて子供を育てることの大変さ、子どもの将来に責任を感じる。
教室で保護者さんと面談しているときも、いつの間にか同じ立場で話している。
まず共通の土台があり、共感が安心感になり、元気を頂くことも多々ある。
また、教室で生徒に授業しているときにもオーバーラップする。
何人も自分の子供を持っているのと同じことだ。
年を重ね、その重圧を経験している最中の今、敬老の日の意味が、まるで、台風一過の青空のように、クリアに理解できる。
それは何か?
それは、昔伝えることのできなかった感謝の気持ちを伝えること。
だから、敬老の日、照れくさいけど、
「長生きしてくれてありがとう。これからも元気でいてください。」
と電話で感謝を伝えた。
PS. 僕が引退した時、家族に囲まれ、目の前に孫なんていたら最高だろう。『幸福』そのもの。そりゃ、1トーンや2トーンくらい声が高くなってもおかしくない(笑)。