Vol. 0013
親御さんなら経験したことがあると思います。
◎ 百科事典を揃えたが、子供は見向きもしなかった。
◎ 高い英語教材を買ったが、一日で飽きられた。
◎ 通信教育に入ったが、2か月で、送られてくる教材の封も切らなくなった。
◎ 知育教材で恐竜の骨格模型を買ったが、未完成でゴミ箱行き。
などなど。
せっかく子供のためにと思って、高い買い物をして、最高のもの(××大学教授監修とか)、または、評判のいいものをやらせようとしているのに、何故できないんでしょう?
⇒ 出版会社が悪い?
⇒ 教材のできが悪い?騙された?
⇒ うちの子には早すぎた?
⇒ うちの子は飽きっぽい?
⇒ ほかの習い事があって、時間が無かった?
⇒ うちの子には難しかった?
⇒ うちの子はアウトドア派だから?
そして、
⇒ いつか、また押入れから出してやってみよう。
⇒ いつか、また興味がでるかも。
最後には、
● うちの子、やっぱダメやわ。
と諦めるか、
● やっぱり、ちゃんと教えてくれる所に行かせなきゃダメだわ。
となる。。。でしょうか?
ちょっと、考えてみました。
喉が乾いてない人に、「この水飲みなさい」と言っても、飲んでくれません。いくらこの水が「天然有機ゲルマニウムイオン水で世界一貴重な水だ。」と言っても飲みません。いくらこの水が、「ある研究機関で開発されたフィルタを使った最高品質の水」であっても当然飲みません。「お母さんが重いのに買ってきたのよ」と言っても飲みません。たとえ義理で一口飲んだとしても、あとはサヨナラです。だって、喉が乾いてないんですもん。当たり前です。
ことわざで、
You can lead a horse to water, but you can’t make him drink.
「馬を水辺に連れていけても、水を飲ませることはできない」
というのがあります。
まさにその通り。
教育というのは、親や先生など外部から、個人へと提供される「サービス」です。いくら素晴らしい教育環境を提供しても、実際に受け取る側の受け入れ態勢が無いと受け取ってもらえません。
一方、学習というのは、自分で考え、自己発生的に始まる行動です。ですから、環境がどうだとか、年齢が低い高い、価格が高い安いなど関係ないのです。人間って生まれて死ぬまで常に学習を行っています。学習がその人の人生と言っても過言ではありません。
学習は本能です。学習を止めることは死を意味しますし、種として、絶滅します。
だから、学習し、よりスマートになり、より強くなり、身を守り、環境に適合し、子孫を繋ぐのです。
子どもは、本来、学習することが楽しくて仕方ありません。新しいことを発見したり、難しいことにチャレンジしていくことは、子供のほうが大人よりも長けています。与えられるものは望んでいません。
子どもたちのその意欲、やる気は、底なしで天井知らず。その先には、子供の『夢』の原石が隠れています。
教育された子供は弱い。
学習する子供は強い。